井上雅夫(Tadao Inoue)
1954年(ゴジラ元年)生まれ。
'82年に「イノウエ工房」でデビュー。その卓越した造型センスと規格外のスケール感で、ゴジラを中心に数々の名作を残す。
型抜き業者の引き入れ等、創世期においてガレージキットの可能性を開き、後のゴジラ造型、商業化に多大な影響を及ぼす。
原型師の中で最も破天荒なエネルギーを持った人物であり、海洋堂、ボークス、ビリケン商会等、GK業界のメジャーメーカーは、オリジナルキット開始期に、氏と接触し少なからず影響を受けている。 怪獣GKにおいても多くの原型師の源流であり、ビッグバンの特異点となる伝説の人物である。
'94年の神戸G計画以降、表舞台からは完全におりてしまい、現在は趣味で粘土をこねている。
WORKS
年 | 作 品 | 画 像 | サイズ/材質 | 付帯品 | メーカー | 発表時価格 | パラダイス ソフビ再販 | 備 考 | ロケーション (販売提携等) |
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1982 | バンザイモスゴジ | 全1 全2 全3 | 60cm/FRP製 | イノウエ工房 | 7,500 | 海洋堂、ゼネプロより販売 | |||
立ちバラゴン | 全身 上半身 横顔 正面顔 | 50cm/FRP製 | ゼネラルプロダクツ*1 | 17,000 | 19,800 | ||||
1983 | 海底軍艦 | 全景 全2 全3 全4 全5 全6 全7 全8 全9 | 120cm/キャスト製 | イノウエ工房 | 35,000 | ||||
0号キンゴジ | 全身 上半身 | 60cm/不明 | イノウエ工房 | 不明 | キット未確認 | ビリケン商会にて展示 | |||
初代アンギラス | 全1 全2 全3 全4 全5 全6 全7 顔 | 60cm/キャスト製 | イノウエ工房 | 30,000 | 販売はワークより | ||||
ダンバイン | 全身 | 40cm/FRP製 | イノウエ工房 | - | コミックボンボン誌向け | ||||
ガッター | 全身 | 全長60cm/原型 | イノウエ工房 | - | コミックボンボン誌作例 | ||||
モスゴジ | 全1 全2 | 30cm/原型 | バンダイ | 6,000 | リアルホビー原型 | ||||
ガメラ | 上半身 全身 | 29cm/原型 | バンダイ | 4,000 | リアルホビー原型 | ||||
メカゴジラ | 全1 全2 | 30cm/原型 キャスト製 | バンダイ イノウエアーツ | 未発売 25,000 | 9,800 | リアルホビー原型 | |||
キンゴジ | 全1 全2 全3 全4 後方 上半身 正面顔 横顔 | 60cm/キャスト製 | ベース付 | イノウエアーツ | 64,000 | 19,800 | |||
モスゴジ | 全1 全2 全3 全4 後方 上半身1 上半身2 正面顔 | 55cm/FRP製 | プレート付 | ボークス | 25,000 | ボークス参入 | |||
1984 | ガイガン | 全1 全2 | 32cm/キャスト製 | バックル付 | ボークス | 9,500 | OHS | ||
モスゴジ | 全1 全2 顔 | 32cm/キャスト製 | バックル付 | ボークス | 9,500 | OHS | |||
キンゴジ | 全身 | 32cm/キャスト製 | バックル付 | ボークス | 9,500 | OHS | |||
彫塑サンダ体ガイラ | 全1 全2 全3 サンダ顔 ガイラ顔 | 38cm/キャスト製 | ベース付 | イノウエアーツ | 25,000 | 12,800 | ラーク*2販売参加 | ||
モスラ幼虫 | 全1 全2 アップ | 46cm/キャスト製 | 東京タワー、ベース、 TOHOSCOPEプレート付 | イノウエアーツ | 20,000 | ||||
メカゴジラ2 | 全身 | 32cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 15,000 | |||||
1985 | クラッシュ・オブ・ゴジラ | 全1 モスラ ゴジラ 全2 | 17cm/キャスト製 | モスラ成虫・ベース付 | イノウエアーツ | 17,000 再25,000 | 19,800 | 1/260 ジオラマセット | ホビット参入 |
吸血妖怪ダイモン | 全身 上半身1 上半身2 サイド 後方 顔 顔2 | 32cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 17,000 | 内田模型参入 | ||||
キンゴジNATO基地を襲う! | 全1 全2 顔 横顔 全3 上半身1 上半身2 | 32cm/キャスト製 | 基地、ベース、円谷ステッカー付 | イノウエアーツ | 28,000 | 12,800 | |||
立ちバラゴン | 全身 上半身 顔 | 50cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 30,000 | 19,800 | キャストによる再販 | |||
七色仮面胸像 | 全1 全2 正面 | 25cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 9,000 | |||||
海底軍艦対マンダ | 全1 全2 顔 | 75cm/キャスト製 | マンダ巻き、プレート付 | イノウエアーツ | 35,000 再80,000 | 24,800 | |||
1986 | 熱海城の決戦 | 全1 全2 全3 コング 全4 全5 | 32cm/キャスト製 | コング・熱海城・ベース付 | イノウエアーツ | 48,000 | ジオラマセット | ||
水爆大怪獣東京上陸 (初ゴジ) | 全 上半身 正面 顔 ジオラマ全景 キャノン砲 | 55cm/キャスト製 | 初版キャノン砲、ベース付 | イノウエアーツ | 68,000 再55,000 | 19,800 | |||
新モスゴジ | 全身 顔 全2 全3 上半身 上半身2 | 32cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 12,000 再18,000 | 6,980 | ||||
音無響子 | 全1 全2 顔 | 43cm/キャスト製 | ルードヴィッヒ | 8,800 | ワンフェス限定 | ||||
熱海城キンゴジ | 全1 上半身 全2 上半身2 上半身3 | 32cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 15,000 | 6,980 | キンゴジ単体 | |||
成虫モスラ | 全1 全2 全3 全4 | 30cm/キャスト製 | イノウエアーツ | 16,000 再18,000 | 12,800 | ||||
歩きキンゴジ | 全1 全2 | 32cm/キャスト製 | ベース付 | イノウエアーツ | 18,000 | ||||
キンゴジ・ジャイアントスイング | 全1 ゴジラ コング 全2 全3 全4 | 20cm/キャスト製 | コング・ベース付 | イノウエアーツ | 18,000 再25,000 | 12,800 | ジオラマセット | ||
富士山麓の決戦 | 全1 全2 上半身 全3 全4 | 32cm/キャスト製 | コング・ベース付 | イノウエアーツ | 28,000 再40,000 | ジオラマセット | 内田模型焼失 | ||
1987 | 四つ足バラゴン | 全身 上半身 顔 顔2 | 32cm/ソフビ製 限定キャスト製 | ウェーブ | 3,800 18,000 | ||||
ふんばりキンゴジ | 全身 上半身 顔 | 40cm/ソフビ製 限定キャスト製 | サイコロキャラメル付 | ウェーブ | 6,000 19,000 | ||||
1988 | エレキング | 全身 | 40cm/ソフビ製 限定キャスト製 | ウェーブ | 5,900 19,000 | ||||
鉄人28号 | 全1 全2 | 50cm/キャスト製 | ホビット | 16,000 | |||||
1989 | ミクラス | 全身 | 40cm/ソフビ製 限定キャスト製 | ウェーブ | 5,600 19,000 | ||||
1990 | ビオゴジ | 全身 | 50cm/キャスト製 | パラダイス | 53,000 | 17,800 | |||
2005 | 鉄人26号 | 全1 全2 背面 | 30cm/キャスト製 | おまんたワールド | 20,000 | ||||
2006 | 鉄人28号 | 全1 彩色作例*3 | 34cm/ソフビ製 | ビリケン商会 | 7,350 | ||||
参考作品(未完成品等) | |||||||||
1990 | 初代ガメラ | 頭部 胴体 | 60cm/原型 | パラダイス | 未発売 | 未完成 飛びガメラ付 | |||
1991 | モスゴジ | 全1 全2 上半身 横顔 | 40cm/原型 | パラダイス | 未発売 | 原型途中 | |||
1998 | (海底軍艦) | 全景 | 80cm/キャスト製 | マンダ付 | 怪獣ギャング(マーメイド) | 98,000 | 「造型監修」名義のみ | ||
2000 | 鉄人28号 初期タイプ | 全1 全2 上半身 | 30cm/原型 | - | 未発売 | 原型途中 |
*1)ゼネラルプロダクツ:現ガイナックス
*2)ラーク:現ウェーブ
*3)鉄人28号の彩色作例は、プロモデラー内田和彦氏の手による作例です。
[補足]
- '82年のバンザイモスゴジ(別称びっくりモスゴジ)は、最初期作品のためパーティングの段差ありズレありで今見ると大変な代物だが、GKゴジラの夜明けを伝える歴史的キット。 現在実物は、海洋堂HL東京のガレージキット・ミュージアムで見る事ができる。
- '82年8月には、杉並公会堂で開催された第2回特撮大会に参加。 この大会には、50cmを超えるバンザイモスゴジとバラゴンが2体並べられ、イノウエ工房が広く知られる結果となった。 (会場にて~バラエティ誌82年11月号より)
- 作品第2弾の立ちバラゴンは、その年の暮れ、ゼネプロや海洋堂を通じてキットとして発売された。 特撮大会と前後して雑誌に載ったゼネプロの広告には、耳を寝かせた作例のジオラマ写真と、キット価格2万円、完成品3万円と予告されている。
- 造型注型剤がまだ模索段階の頃、FRP製となったバンザイモスゴジと立ちバラゴンは、初期にはオレンジ色のFRPで成形され、後に濃緑色になったそうである。
- 翌'83年の海底軍艦より成型剤にレジンキャスト(2K3012W)を導入、ジェット噴射口用金属パイプに加え、大砲、レーダー、ハシゴ、デッキを金属パーツとし、プロップ並のディティールを再現した。
- 0号キンゴジは、初期のキットといっしょにビリケン商会に展示されていた物。 大阪では、ごく少数キットが発売されたようだ。
- 60cmアンギラスは、甲羅のトゲも一体成型されていた。 しかし、放射状に広がったトゲは型から抜けずに、甲羅原型は砕いて外したそうである。 (参考:現存するアンギラス原型)
- ダンバインとガッターは、コミックボンボン誌の作例記事として発表されている。 ダンバインは背中のオーラコンバーターが重く、よく倒れそうになったそうだ。 なお、ダンバインの横のチャムファウは、秋山徹郎氏の作品。
- 同年バンダイは、大手トイメーカーのマスプロ製品として、始めて怪獣の大人向けリアルモデル「リアルホビーシリーズ」をリリースした。 簡単な組立によるこの複合素材キットは、当時の画期的製品として記憶に残っている。 原型師にはプロモデラーも多く起用され、ゴジラ、ガメラ、メカゴジラには、井上氏が当てられた。 怪獣の巨大造形は井上氏くらいしかやっていなかったとはいえ、今考えればこれはバンダイの英断である。
- しかし、井上原型によるリアルホビー3作目のメカゴジラは、宇宙船等で原型が発表されたが未発売となった。 メカということで、ギミックと素材の折り合いがつかなかったのであろうか。 原型から複製したレジンキットは、イノウエアーツより少数販売されている。
- また、後年パラダイスから出たメカゴジラ1は、ソフビ化に当ってリベットを打ち直すなど、井上氏自身がディティールをシャープにブラッシュアップして発売された。
- 同年の55cmモスゴジは、ボークスとの提携によるキット化で、後にバンダイ(ホピー)のでかソフビの原型にも使用された。
- 同時期の60cmキンゴジも、55cmモスゴジと同様、ボークスから認定書付きで販売された。(2体との記念撮影~ボークスから発売されたミニパンフより)
- 55cmモスゴジに続き、84年にはボークスが井上氏原型による30cm怪獣シリーズを企画、オリジナルキット製作に乗り出す。 '99年ワニブックス刊「ボークス・パーフェクトファイル」では露天商などと紹介されているが、ガイガンは後に壮大なシリーズとなる、このオリエント・ヒーロー・シリーズの記念すべき第1作である。
- OHシリーズの初期3点にはレリーフのバックルがおまけに付いたが、これは井上氏原型のものではない。
- ボークスとの提携も長くは続かず、OHSは3体提供後決裂。 第4弾として予定されていたラドンは、子ラドン飛びラドンとともに圓句氏が引き継いだ。 この時期、圓句氏は井上氏のラドン原型を見ていたと聞く。 井上氏はこの直後、「ラドンの決定版は、(自分が)岩田屋ビル付きで出す」と言っていたそうだが実現はしなかった。
- 無版権メカゴジラはボリュームアップされ2に改修後、版権取得して発売された。 キットは、'85年1月の第1回ワンダーフェスティバルに出品され、初公開されている。 (参考:第1回WFカタログ・イノウエアーツ)
- '85年のクラッシュ・オブ~には、コング付きのパート2という商品があるが、これはジャイアントスイングの初期表記。 逆にモスゴジ版で、倉田浜干拓出現のパート2、クモの巣攻撃のパート3まで構想はあったが、氏自身の手による実現はしなかった。
- 同様に'86年の「熱海城の決戦」の初期表記は「富士山麓の決戦」、「富士山麓の決戦」の初期表記は「SMキンゴジ」であった。
- 「水爆大怪獣東京上陸」と題された初代ゴジラの初版には、巨大なベースと高射砲(ロングトム)3機、機関砲2機が付いた。 この高射砲と機関砲は、恐ろしく精密なメタルキット。 特に高射砲は、砲身が真鍮の削り出し、ピンやビスまで含めるとパーツ数も1機40近くに及ぶすさまじいものであった。 (参考:高射砲と機関砲)
- 内田模型との販売提携と並行して86年にはピンクコングの店員がイノウエファンクラブを設立、会員から会費と50cmガラモンの予約金を集めたが制作中止となり、問題となった。 結局ガラモンは原型すらなかったという。
- 同時期にWF限定で発売されたものに、音無響子(高橋留美子作「めぞん一刻」より)がある。 20体という当時としては、ごく小数生産だったが、会場では数体しか売れなかったそうである。
- '86年暮れに不審火で内田模型が焼失するまでの2年間、氏はジオラマ仕立ての名作を多く残す。 内田模型の焼失は、氏の活躍の場も狭めていった。
- '87年ビリケン商会などの台頭に対抗して、海洋堂やウエーブもキットのソフビ化に力を入れて行く。 ウエーブに仕事の場を移した井上氏だったが、氏の巨大なキットはその分ゆがみも激しく、完璧主義の氏にとってウエーブでの新作もペースはあがらなかった。 この頃より、作品追求の姿勢がいっそう強くなり、製品原型として完成を見なくなってゆく。
- '88年の鉄人28号の画像は、氏の手によるジオラマ写真から。 となりに写るあのビルは、ご存知、岩田屋である。 岩田屋に降り立つ初代ラドンはついに完成しなかったが、ジオラマ用舞台として街並みがここまで造り込まれていたのがわかる。 実に惜しい。
- '89年ホビットが出資したパラダイスでも、発表だけはいろいろされたが結局氏の新作はビオゴジのみで旧作のソフビ版再販が主となる。
ギララ等氏の新作のための版権のいくつかは、井上氏を師と仰ぐ高垣氏ら他の原型師が引継ぎパラダイスよりキット化された。
- '90年には、パラダイスの広告でも告知された、60cm初代ガメラを造っている。 これはおそらく、ビオゴジ後に最も完成品に近づいた怪獣原型の一つである。 しかし井上氏は出来には満足せず、GOサインを出さない間に油土で造られた原型は自重でゆがんでしまった。 その後G計画の会報では、左足のみ残った体と頭部の写真が「幻の初代ガメラ」として紹介されている。 現在は、頭部とおまけの回転ジェットガメラのみが残っている。
- '98年には、怪獣ギャングに主戦原型師として名を連ねたが、すでにまったく造れなくなっており、中岡氏原型の海底軍艦に造型監修の名を残したのみで、怪獣ギャングはすぐに解散となってしまう。 しかし氏は、実質監修等はいっさい行っていなかった。
- 2000年の鉄人28号は、ビリケンの三原氏に「レトロ鉄人を造る」と原型製作を申し出たもの。 以前造ったまま猫の糞にまみれていた頭部を発掘して、体を付けはじめたのが2000年の画像。 ポーズの選択は、80年代に出ていたアーキーズの鉄人を思い出す。 この後、足を長くし、肩アーマーなどのバランスを変えて行くが完成までには長く停滞する事となる。
- 2005年の鉄人26号は、井上氏を師と仰ぐ高垣氏の尽力によって実現したもの。 単純なフォルムの中にも、横山ラインが再現されている。
- 2000年に造り始めた鉄人は、実に5年をかけ完成した。 この初期タイプ鉄人28号は、2006年4月にビリケン商会より無事製品化されている。
EPISODE
[神戸もののけ紀行]
- '99年4月、神戸に井上氏を訪ねた時の記録です。
氏の'98年~'99年の発言集です。
- 怪獣について
「怪獣っていうのは神さんなんですよ。 昔の怪獣はね、みな日本古来の神さんの顔してる。 神さん作るのは本当に難しい。」
「日本の怪獣は美しいんですよ。 それとその背景に、古典の能やら歌舞伎やら仏像やらといった伝統芸術のセンスがあるんです。 やっぱり昔の東宝、まあ東宝だけじゃないけど、いかにあの時代の造型スタッフが優秀だったかということやね。」
「(怪獣は)深いし難しいですよ。 新たな発見がある度に、作り直すはめになるんですよ。」 - 怪獣の原型制作について
「怪獣作る時はね、まずかたち、外見を似せて、その上でもののけを吹き込むんやけど、最近出回ってるのはかたちすら似てないもんね。」 - '97年怪獣ギャングの海底軍艦について
「あのドリルの力弱さ、もののけがなんにもあらへん。 海底軍艦も生き物なんよ、怪獣と同じ。 もののけ入ってなきゃ、単なる置物や。」*1 - 最近、氏の作品が原型完成できない事について
「最後のところがクリアできないんですよ。 昔はね、好きだというのがまずあって、情熱で押し切ったところがあるんです。 いきおいで完成させた、っていうのがね。 でも深く知れば知るほど最後のところ、もののけ入れるところがねおそれ多くなってもうてね。」 - 今後の活動について
「復帰するにはインパクトのあるものださんとね。 モスゴジとギドラだけはやり残したというか、どうしても作らんとやめられんからね。」 - モスゴジについて
「(できあがった)首を切り落としました。 今顔を作り直してます。 あの顔、あれを完璧に再現するのはねえ、ごっつう難しい。 眉毛の中に、初ゴジやキンゴジが見えるんですよ。 能面なんかと一緒でね。 光のあて方、演出の仕方でどうとでも見えるんです。 ある時は狂暴な顔に見えるし、ある時はめちゃ可愛いらしいしね。 もうほんまに難しいですわ。」 - ギドラについて
「昔はギドラの姿が見えなくて。 難しすぎたんですよ。 でもやっと見えるようになったんでね。 見えた以上は、作らんと。」
「ギドラはでかくなけりゃあかんですからね。 ただ立ちポーズはスチールだし、前傾姿勢すぎてもあかんし、イメージは飛んでるところがいいんですけどね。 作るのは、鳥居の前の首がながれているシーンなんですよ。 立ちポーズはええんやけど、映像にはないからね。」 - 復活に期待される事について
「ぼく、本当は怪獣やなんですよ。 いや、そりゃ好きなんやけど、怪獣作るのはね、しんどいんや。 本当は、油絵やオリジナルの彫刻、人体彫刻なんかを作りたいんですよ。 コピーは、真の芸術にならんでしょ。 でも天の声がもう一度怪獣作れ、言うとるみたいや。」
(インタビュー:西尾真一)
*1)補足としての蛇足。
インタビューの時期から、たまたま怪獣ギャングの海底軍艦がやり玉にあがっているが、氏は他の原型師の作品を(その発言の上で)ほとんど認めていない。 一般的に評価の高い原型師や作品も、感想を伺うと「こんなんあかんわ」「全然力あらへん」「こんなん出すくらいやったら、ぼくなら自殺するわ」と、写真を見るか見ないかの内にボロクソにこき下ろす。
「自分なら、この怪獣はこう造る」という自己主張は、原型師なら誰でも持っているが、自らを鼓舞するために、あえて過激な表現で他人の作品を一蹴しているようにも思える。
[怪獣バカ一代]
- 宇宙船別冊「3D-SFワールド2」('83夏号)には、中学時代に仲間と作った成虫モスラのジオラマのモノクロ写真が載っている。
東京タワーはプラモデルで、後年のタワーモスラと同スケールである。
模型少年を彷彿させるこれらの写真には、巨大造型とジオラマによるシーンの再現、さらに写真撮影による2次元での復元など、後年のイノウエアーツの方向性が示されている。
(参考:中学時代に仲間と作成したモスラ成虫のジオラマ)
さらにモスラ対ゴジラのジオラマでは、砂利の野原にジオラマを展開して撮影している。 ゴジラは、モスゴジというよりオーロラ社のプラモデルを参考にしたのだろうか。 その大きさ、オープンセット並のホリゾント、電飾(モスラの目)、火を燃やしての撮影など、氏の怪獣造形に対するエネルギーの源泉を見る思いである。 約20年後の55cmモスゴジのジオラマと同じような事を、すでに中学時代からやっていたのは笑ってしまうしかない。
(参考:同モスラ対ゴジラのジオラマ)
- 氏は、けしてプロの造形家を名乗らず、アマチュアリズムを通した。 ピンクに色どられた氏の名刺やインストには「KAIJU PARANOIA」の文字が見てとれる。
- ガレキを請け負う型抜き業者もいない時代、型抜きは家族や近所の友達を総動員して行われていた。
氏は、原型製作より型抜きの方が好きだと言っている。
(参考:中空パーツの様子が見て取れる、轟天号のドリル部の型)
それにしても、ガレージで50cmクラスのキットを500体以上抜いていたのだから、何ともすさまじい。
後のパラダイスのソフビ化でも、クラッシュ・オブ・ゴジラのモスラの羽根は薄過ぎてソフビ化できず、レジン製となった。 しかしこのレジン製の羽根もしなった形状により業者では抜く事ができず、結局全て井上氏が抜いたという。
気泡を入れずに確実に抜くためには、型をあらかじめ合わせずに、レジンを流しこんだ後に上型をかぶせ、大量にあふれさせながら固めるという方法を取るそうである。
ホビットの社長は、「あれは、業者に断られてね、無理だって。井上のやり方でしか抜けないんだ。」と語っている。 - '83年8月には聖咲奇氏のツアコンで、サンディエゴのコミック・コンベンションや米国のメーカー、コレクター宅まで訪問する第1回SFアーが行われ、井上氏も参加した。
雑誌「宇宙船」主宰のツアーには氏の他、ボンを始めとする海洋堂スタッフ、小澤勝三氏、高橋昌也氏らSFモデラーも多く参加している。 HJのツアー紹介記事では、グレッグ・ジーン氏宅での原子力潜水艦磨き事件くらいしか登場しないが、ビル・マローン氏がリペアしたオリジナル・ロビーとの記念撮影や、多くの女性とのツーショット写真を見ていると、無邪気にはしゃいでいた様子がうかがえる。
この時のコスプレーヤーに抱きつきキスをしている写真は、今でもガレージの壁に飾られている。 (参考:第1回SFツアー) - '83年末に60cmキンゴジを抱える好青年(!)が、2年後には完全なオヤッサン(プロフィール横写真)になっている(逆に十数年後の近影でもさほど変わっていない)。 この変わりようはなんなんだろう。 いのうえさん、あんたの方がもののけやで!
- 当時のジオラマ仕立ての写真は、ほとんど井上氏が撮影したものである。
巨大な書き割りのバック、ベースもさる事ながら、ライティング、焦点距離(被写界深度)、レイアウト、アングルなど撮影技術も一流である事がわかる。
→ライティングの妙は、七色仮面やダイモンの完成品写真で顕著に見ることができる
60cmキンゴジを配したNATO基地の巨大なジオラマ写真も、戦車や戦闘機のミニチュアはもちろん、空気遠近法を用いた撮影など映画のスチル写真と見紛う見事なものである。 - 84年ボークスと別れ、単独でHJに広告を出していた頃の井上氏(別冊宝島より)。
- '80年代半ばの全盛期も含めて、氏は常に数100万円の借金をしており、肉体労働のアルバイトをしたり、一時はロシアにまで逃げていたとさえ言われている。 元より損得勘定ではなく、自らの表現衝動の発露として造型をしていたのだから無理もない。 氏のような天才には、いろいろな利権目当ての人物が近づいてきては離れてゆく。 優秀なマネージャー役の人物やメーカーとめぐり合えなかったのも、氏の不幸かもしれない。
- メーカーとの確執やトラブルもまた多い。
氏は、趣味嗜好品の原型としてではなく、立体の作品としての怪獣を作り込んでいった。
その結果、納期や約束を守らず、既存のラインナップを無視したスケールや価格にメーカーは振り回された。
小売店も兼ねるGKメーカーはどこも独占販売を望んだが、定価の3割引、4割引でファンに直販を行う氏の行動もうとましかったに違いない。
海洋堂やゼネプロ、ビリケン商会も最も早い時期から氏に接触、東西で販売窓口として機能している。(轟天号を抱える'83年当時のゼネプロ店長、岡田斗司夫氏)
海洋堂は、自社ブランドの原型を期待したが実現せず、氏はボークスと提携してしまう。 この事により、予定されていたアートプラ誌によるイノウエアーツ大特集もあっさり中止となり、以後原詠人氏を起用して、リアルホビーサイズのリリースを開始する事になる。 一方ボークスのOHSは、当初井上原型による怪獣シリーズとしてスタートしたが、こちらの提携も半年と持たなかった。
型抜きしたものを勝手に売ってしまうのだから、ビジネス上の常識から言えば、悪いのは確かに井上氏の方である。 しかし氏は、自分の作品を欲しがる怪獣ファンに、キットを配っただけと思っている。 ビリケンの三原氏も井上氏の才能は認めてはいるが、原型依頼は考えなかったらしい。 内田模型も販売提携はしたが、このあたりは非常に大雑把であったという。 それが1年以上関係が続いた理由かもしれないが、反面、経営的には破綻してしまう。
'89年には、ファルシオンとパラダイスから、同一原型のソフビ版初ゴジが同時期に発売されるという混乱も起き、版権上でも問題となっている。 - '85年、NATOキンゴジの予告に載った井上氏直筆の言葉である。
「製作者のことば(Kaiju Paranoia)
ゴジラは程んど実体がわからない. 偶然の産物特に七変化が
顕著な『キンゴジ』その複雑怪奇な曲線が織りなす一連のエロス
その歪曲な表情はニヤニヤ笑いを浮かべて居る.様々な男達が
お前に恋心を抱き接近してくる.もう少しでもう1歩で手中にでき
る.エクスタシーそして戦慄そのよな男達を悲しみの暗に追いこむ
両手を切断された夢遊病者のピエロ達
え.何故ゴジラを造るかって、そりゃ何時も恋愛を(し)たいからね.
パラドックスランドより」(原文のまま)
一見、行ってしまっている人の発言のようであるが、本来男性的なキャラクターのゴジラの造形ラインに見え隠れする女性的なライン、なまめかしさのようなものを「エロス」と表現するなど、氏のゴジラ造形の捉え方の一端を知ることができる興味深い発言である。 - また、「エクスタシーそして戦慄」あたりのフレーズは、氏の好きなキングクリムゾンの「太陽と戦慄」からであろう。
キングクリムゾンは、筆者も好きなロックグループであるが、「毒蛇に飲み込まれるひばりの舌」という原題が意味する、相反する2つの要素を氏の立体作品の中に探して見るのも面白いかもしれない。
ちなみに、田宮教明氏による富士山麓の決戦(通称熱海城の決戦)のボックスアートにはLP風の帯まで書き込まれ、クリムゾンのセカンドアルバム「ポセイドンのめざめ」ジャケットのオマージュとなっている。 (参考:比較画像) - '90年以降、ウエーブやパラダイスの廉価版ソフビで氏の魅力にはまった人も多い。 時代の流れから一時期ソフビ化キットを容認していたかのようだが、質感の再現性が劣る事はもとより、氏の大型作品はその分歪みも激しく、98年には今後新作をソフビにはしたくないと語っている。
- '93年9月末、井上氏の担ぎ出しを図ったG計画のゴジラショップin神戸が、三ノ宮に開設。 Gビルは1・2Fが飲食店、3Fがゴジラショップ、4Fが博物館という構成であった。 ショップでは、スーパーキンゴジなどいくつかのキットも新作予定として発表されたが、結局軍艦マンダ等一部キットの再販のみで井上氏の新作は1作も実現しないまま翌年には倒産となった。
- そのゴジラショップで展示されていた30cmラドン誕生は、結局キット化は見送られた。
氏いわく「足がどうなってるかよくわからないんですよ。 資料がなくてね。」
この作品が、誕生の瞬間を捉えた好品であり、下半身は卵のカラの中である事を付け加えておく。 (参考:G計画時代の井上氏) - キンゴジヘッド、コングヘッドなど当時のいくつかの原型は、今でもガレージに残っている。 (参考:G計画時代のヘッド2体)
- Gビル1・2Fは、「屋台村 呉爾羅」という飲食店街になっていた。 開店1ヶ月前に井上氏が持ち込んだ、日の丸ハチマキのキンゴジが引くゴジラ焼の屋台をコングが後ろから押すスケッチは、ビルのシンボルとして等身大で造られる事になった。 製作の様子は、友の会会報「特撮アニメ研究所」に詳しいが、ディティール付けまでいっていたオブジェは、開店10日前の一晩で氏自ら潰してしまい実現はしなかった。 (参考:Gビル向け屋台キンゴジ)
- 細かく見ていくと氏の原型は、けっしてオリジナルの着ぐるみに忠実なわけではない。
原型創作には映像(動画)を参考にしているそうだ。
スチール写真は、あくまでディティールの確認のためだけに使用する。
映画の動きから咀嚼した形ゆえ、動きのある、本物以上に本物らしいイメージそのままの怪獣がそこに現われる。
参考にする映画は、テレビサイズではだめらしい。
氏は言う。 「ビデオはあかんよ、ちっちゃいから。 一番いいのは映画ですよ。 今でも関西でキンゴジやると、見に行きますもの。 あれが一番参考になる。」
最後に吹き込む「もののけ」とは、仏師の言う「魂」といっしょなのか。 命無きものに命を吹き込むには、みずからの命を削って注ぎ込むしかないのか。 '80年代終わりから現在に至るまで、氏はほとんど完成品を発表していない。 他人から見たら充分な完成品に見える物でも本人は満足せずに、作っては壊し、また作り直すという作業をくり返していると聞く。 その作業は創作を超えて鬼気迫るものであり、造型を放棄しない限り、氏についてまわる。 いや、本当はやめてもついてまわる事を氏は一番理解しているかもしれない。
氏の会話の中に出てきた作品が、完成され製品化される事はおそらくもう無いであろう。 氏にとって唯一最大のライバルは、かつての自分であり、それを超えられなければ出す意味が無いのである。 残してくれた作品と氏に感謝しつつ、ファンの方にこのページを贈る事とする。
最終加筆:2006年5月6日
写真
井上雅夫 他
イラスト(ボックスアート)
田宮教明
協力(敬称略)
怪獣パラノイア 井上雅夫
怪獣マニア 西尾真一、怪獣ファン IDE、QCF、進戸宏樹、高島秀一郎、宮崎逸志、後藤文雄